「――まったく……そんな格好で寝ていたら、お腹を冷やすだろうが」

 そう呟きながら彼女は、ベッドの上で寝息を立てるセルキーの少女に、毛布をかけ直した。
前屈みになった彼女の後で、紺色の紐がくねくねと動いている。

「……いいかげん、寝床を増やした方がいいな……」

 自分の家の現状を見て、シェルロッタは思案を巡らせた。二つあるベッドのうち、今まであの子が使っていた方では、
セルキーとユークの女性二人が寝息を立てている。
そのベッドの向かい側の壁には、リルティの青年が壁に背を預けて、
それまでベッドの持ち主だったクラヴァットの少年はすぐ傍の床で横になって眠っていた。
なんでも、今日は大きな仕事を終わらせたらしい。そのせいか、いつものように遅くまで騒ぐこともなく、すぐに全員が眠りについていた。

 始めて彼が、コウスイが自分の仲間を連れてきた夜、寝床をどうするかが問題になった。
そして、その時からこの状態は一向に変化がない。

 月明かりが部屋へとこぼれる中、シェルロッタは自分のベッドに腰掛けていた。だがふいに立ち上がり、
ゆっくりと、机をはさんだ部屋の向こう側へと歩き始めた。

 床板の軋む音が、やけに大きく聞こえる。

 ほんの数秒の後に音は途絶え、シェルロッタはその場にしゃがみ込んだ。
毛布にくるまって静かに寝息を立てている、自慢の息子の髪を撫でる。

 あの時シェルロッタは、ベッド二つを男女で分け、自分はその辺りで横になろうと提案した。だが口にしてすぐに、四人全員に却下された。
他の家にお邪魔するなどの意見も出たが、結局決まらず、業を煮やしたリルティの青年は、
「自分は気にするな」と言い放ち、近くの床に腰を下ろすと壁に背を預けて、腕を組んで目を閉じてしまった。

 ならば、シェルロッタとコウスイで一つのベッドを使えばいいと提案が出たが、コウスイは真っ赤になった顔を何度も左右に振った。
毛布を一枚つかむと、いそいそとリルティの隣に向かっていった。

「――昔は、自分から私の所に潜り込んできたのにな」

苦笑しながらシェルロッタは、そっと、コウスイの頬に手をあてた。その感触も、顔の輪郭も、かつての面影はまるでない。
エリルやフェルプルたちに連れられて遊んでいた、あの泣き虫で小さな男の子が、いつのまにかこんなにも立派に育っていた。

 そのことがシェルロッタには誇らしく、だが――同士に寂しくもあった。

視線をコウスイの寝顔から少しそらした時、シェルロッタは彼女と目があった。黙って立ち上がると、じっとその相手を睨みつける。

目の前の彼女を、シェルロッタは誰よりもよく知っていた。
コウスイと出会ったあの日から、いや、遙か昔すべてが狂ったあの時から、目の前の少女は何一つ変わってはいなかった。

 シェルロッタは数歩歩き、手をかざした。鏡の中の少女と手が合わさる。

――あの子は、コウスイは気づいているのだろうか? 私や、村の皆が、まったく年を取っていないことに――

 この村の中だけで暮らしていた今までは、疑問に思わなかったかもしれない。
だが、外の世界を知った今、コウスイがこの不自然さに気づくのは、もはや時間の問題だろう。

――その時、私は……どうすればいい――

 鏡の中の少女は、苦痛を堪えるような表情を浮かべていた。
かと思うと踵を返し、そのまま奥にあった戸を開けると、その向こうへと消えていった。
扉が小さく鳴いた後には、微かな寝息と月明かりだけが、部屋の中に満ちていた。

 

 

シェルロッタは夜が嫌いだった。

あらゆるものが眠りにつく世界は、ただ一人、意味もなく森の中を彷徨っていたあの頃を思い出させるからだ。

 だがそんな時も、傍らに誰かの鼓動を、吐息を感じることができれば、安らかに眠ることができた。

「私の方が……ずっとあの子を必要としていたんだな」

村を分断する川の流れ。その上に架かった橋の縁に腰掛けながら、シェルロッタは夜風を感じていた。
ほんの少し足を伸ばせば、すぐ下にある清流に足を掴まれそうだった。

成人の儀式を無事に終え、あの子は一人前として認められた。
まだまだ危なっかしいところもあるが、いつの間にか仕事も見つけ、友人たちにも恵まれている。
きっとこの先、自分が心配するようなことは起こりえないだろう。

コウスイの未来を案じていた時、ついシェルロッタはそれまで蓋をしていた事を覗き込んでしまった。
息が詰まり、片手で胸元の鈴を強く握りしめる。

 この先、コウスイは彼の人生を歩んでいくだろう。例えそれがどのようなものであったとしても、間違いなく確かなことが一つあった。

――あの子は、私よりも先に、逝ってしまうだろう――

 水面に揺れる少女も、鏡の中の少女も、この二千年間、まるで変わりはしなかった。
おそらく、この先何千年が経とうと、それは同じことなのだろう。

 指先に何かの感触が触れた。それを掴み、小石であることを確認すると、シェルロッタは眼下の虚像へとそれを投げつけた。
水面の少女は波紋にかき消されたが、ものの一分も経たないうちに、元の姿へと戻っていた。

――とうの昔に気づいていたはずだ。私は、コウスイと同じ時を生きることはできない。その役目は、きっと別の――

 頭の中にコウスイと、その傍らで微笑むセルキーの少女の姿が浮かんだ。
明るく、素直な性格で、少し子供っぽいところはあるが、それ故、村の皆ともすぐにうち解けていた。
あの子なら、きっとコウスイの笑顔を絶やさずにいてくれるだろう。

 だがシェルロッタは、自分の顔に満ちた暗い影を払うができなかった。うつむき、震える唇から勝手に声が絞り出される。

「……どうして……」

――どうして?――

「……私ではないんだ……」

――誰よりもあの子を愛しているのに――

 呟いたとたん、はっとなって、シェルロッタは何度もかぶりを振った。そしてもう一度、厳重に封をして、心の奥底にしまい込もうとした。

だがどうしても、抑えきることができなかった。不安や後悔ではない、もっと別の、決して明かすことのできない感情が溢れ出して止まらなかった。

――いつからだろう、あの子に、抱きしめて欲しいと思うようになったのは――

 今までは、シェルロッタがコウスイを抱きしめる側だった。
あの子が笑っている時、あの子が泣いている時、コウスイを両手で抱きしめて、そっと頭を撫でてやった。
あの頃は、軽々と抱きかかえることができていた。

 けれど今は、到底そんなことはできないだろう。
背はシェルロッタをとうに超えているし、この十数年の間にしっかりとした体付きへと成長していた。

 成人の儀式を迎える少し前、ふざけてコウスイが、背後からシェルロッタを抱きしめたことがあった。
すぐに肩で背負って投げ飛ばし、「修行が足りん」と、一蹴したが、あの時のシェルロッタは、自分の心臓が鐘の如く鳴り響いて止まらなかった。
後ほんの少しでも長く触れられていたら、その鼓動に気づかれたかもしれない。

自分の身体を包み込んだ広い胸、耳に掛かる熱い吐息、それらを頭から振り払おうとして、何度も自分に言い聞かせた。
自分はあくまで、あの子の母親だ。それでいい、それで十分なんだ。

「……こんなことを知ったら、あの子はどうするだろうな」

 軽蔑させるだろうか? 悲しませるだろうか? どちらにせよ、コウスイも私も、二度と元には戻れないだろうな。

 シェルロッタは視線を足元から空へと向けた。漆黒の空の中に、数多の星と歪な月が浮かんでいる。
そういえば、彼らもまた、この二千年間変わらずそこにあり続けていた。
シェルロッタは思わず月へと手を伸ばした。だが、その手は何も掴むことはできず、むなしく虚空に触れるだけだった。

「――シェルロッタ?」

 空白の手をじっと見つめていた少女の尻尾が、一瞬でぴんと張った。
目を見開いて振り向くと、見知ったセルキーの少女が宵闇の中に佇んでいた。

「……シャ、シャク・シィか。こんな夜更けにどうした?」

 あくまで平静を装いながら、シェルロッタは前に向き直った。足音が響いたかと思うと、シェルロッタの隣にシャク・シィが腰を下ろしていた。

「なんか…喉が渇いちゃって、それで、お水もらおうと思ったら、シェルロッタがベットにいないんだもん」

 気になって、外に出てみたんだ。そういってシャク・シィは笑った。シェルロッタもつられて笑みがこぼれる。

「そうか。いや、少し目が冴えたのでな、……月を見ていたんだ」

「……ふーん、そっかぁ」

 シャク・シィも視線を空へと向ける。今夜の月は、あまり美味しそうじゃないな。そう、彼女は心の中で呟いた。

「――ねぇ、シャルロッタ」

 しばらく二人で夜空を見上げていると、ふいにシャク・シィが口を開いた。
シャルロッタは少し顔を向けたが、シャク・シィの横顔しか見えなかった。

「コウスイってさ……すごい人気者だよね」

「……は?」

「だってさ――」

 シャク・シィは夜空から、隣で首をかしげる少女の方へと視線を変えた。

「村のみんなと話してると、必ずコウスイの話題になるんだもん」

「そ、そうか……」

「うん。コウスイは昔こんなことがあったんだよとか、逆に、わたしたちと一緒にいる時のコウスイはどうだったかとか。
……彼のことを話している時は、みんな本当に嬉しそうだった」

 それって、すごい愛されてるってことだよね? その言葉に、シェルロッタは微笑して小さく頷いた。

「……そうだな、あの子はこの村の全員にとって、実の息子のような存在だからな……」

 コウスイも、まして最近知り合ったばかりの彼女も知るよしはない。この村の皆が、コウスイのために存在していることを。

「……皆が皆、親のように気にかけているんだよ」

 自分自身に言い聞かせるように口にして、シェルロッタは視線を足下の川へと向けた。
水面には同じようにうつむいて座る、二人の少女の姿が見える。

「そっかぁ、そうだね。……でも――」

 眼下に映るセルキーの、唇がゆっくりと揺れる。

「――シェルロッタにとっても、コウスイは単なる息子、なの?」

「――っ!?」

 言葉の意味がわからず、シェルロッタはしばらく硬直していた。それが解けるとすぐに、水面の彼女から隣に座る彼女へと向き直った。

「な!…なんだそれは!?」

 動揺を隠そうにも、声はうわずり、白い肌はあっという間に昂揚していく。だがそんな彼女を一瞥もせずに、シャク・シィは言葉を続けていく。

「うーん……わたしは、シャルロッタと知り合ってまだそんなに経ってないけどさ」

 ゆっくりとシャク・シィもシェルロッタの方へと顔を向けた。月明かりを映すその眼差しに、シェルロッタは思わず身じろぎしていた。

「けどシェルロッタが、コウスイが近くにいる時、必ず彼のことを見てるのは……すぐに気づいたよ」

「な……!」

 弁解することもできず、シェルロッタは真っ赤に染まってうつむいた。
「お前やエリルは、過保護すぎるんだよ」
何度もユークの魔術師に言われた言葉が、頭の中で反響していた。
だが何度指摘されても、あの子から目を離すことはシェルロッタにはできなかった。

「た、確かに! 少しあの子を気にしすぎていたかもしれない。だが! それはあくまで――」

「――あくまで、なに?」

 シャク・シィはちゃかすでもなく、普段の彼女とはまるで違う瞳を向けてくる。その視線に、シェルロッタは言葉を詰まらせた。

「あくまで、母親として気にかけているだけだ」

その言葉が出てこない。

 普段なら、村の皆やコウスイとその仲間たちの前でなら、そう断言することができただろう。
けれど、この子の前では、コウスイの隣で笑っていた彼女の前では、どうしてもそれが言えなかった。
言いたくはなかった。

「…………」

 結局、シェルロッタはそれ以上返すことができなかった。顔を背ける彼女から、シャク・シィは視線をそらした。

「ゴメン、変なこと聞いて」

 雲が月を遮ったのだろう、二人の姿は一瞬闇にとけ込んだ。だがすぐに空は晴れ、再び淡い光が少女たちの背中を照らし始めた。

「――たぶん」

 数時間とも思える長い沈黙の後、まず、シャク・シィが口を開いた。

「わたしも同じだから。コウスイのことが気になって、いつも彼のことを目で追っちゃう。……だから、すぐに気がついた。
それで、確かめたかった。シェルロッタが、コウスイのことをどう思っているのか……」

「……シャク・シィ」

 立ち上がり、シャク・シィはスカートを軽く払った。少し思案してからシェルロッタも立ち上がる。
水面には向かい合う二人の横顔が映っていた。

「――あのね、シェルロッタ。わたし……コウスイのことが好き」

 シェルロッタにとって、それはすでに承知の事実であり、予測できた言葉だった。
だがそれでも、シャク・シィの言葉は予想以上に、彼女の胸に突き刺さった。

「彼と一緒にいるのが楽しくて、彼と話ができるのが嬉しくて、だから……わたしはこれからも、ずっと、コウスイの傍にいたい」

 セルキーの少女は片手で反対側の袖を掴み、強く握りしめた。

「けど、わたしがそう思うことで、誰かを悲しませているかもしれない。……その人は、わたしよりもずっとコウスイのことを知っていて、
コウスイも、きっとわたしよりも彼女のことの方がよくわかってる。
……そしてわたしは、彼女のことも大事な人だと思ってる」

「…………」

 怯えるようでもありながら力強い、シャク・シィの視線を、シェルロッタはまっすぐに受け止めていた。

「だから……だから! 教えて欲しい。シェルロッタにとって、コウスイは何なのかって。
シェルロッタは誰よりも、コウスイの傍にいたくないのかって!」

 必死に訴える彼女を見ていて、シェルロッタはつい唇がほころんだ。

「――強いな、お前は」

 思わず口をついた言葉に、シャク・シィは一瞬目を見開いたが、すぐに何度も首を振った。

「――強くなんてないよ。ただ、怖いんだ。……私は……コウスイの傍にいたい。
けどそれが、それが許されることなのかって……」

「……ああ、そうか」

 その呟きを、シェルロッタは声には出さなかった。ただやっと気づけた。
自分が、あの子と彼女のことで勝手に苦しんでいたように、彼女も、あの子と自分のことで心を痛めていたことに。
それは――

「……わかった。私の本当の気持ちを、教えるよ」

――自分も、彼女も、結局は何も変わらないからだろう。

「私は……あの子のことを愛している」

「……それは、お母さんとして? それとも――」

「……わからない。ただ、コウスイは私のすべてだった。
あの子がいるから、私は私でいられた、生きていると実感することができた。
だから――」

 シェルロッタはそっと、胸元に手をあてた。ちりん、と、小さな音が微かに響いて消えた。
コウスイはどんなに泣きじゃくっていても、これを握るとすぐに眠りについていたっけ。

「――だから、この思いはきっと、シャク・シィと何ら変わらないのだろうな」

「シェルロッタ……」

「けどな、シャク・シィ」

 シェルロッタはシャク・シィの目の前まで歩み寄ると、そっとその蒼色の髪を撫でた。

「そのことを、お前が気にする必要なんてないんだ。これから先、あの子の傍にいられるのは……シャク・シィの方なのだから」

「そんな! どうして!? シェルロッタはコウスイと――」

「……ああ、一緒にいたいよ。いつまでも、ずっとあの子の傍で生きていたい。けど、それはできないんだ」

「なんで……」

 シャク・シィの潤んだ瞳は、その理由を問いただそうと必死だった。
けれど、これだけは絶対に答えられないと、シェルロッタはわかっていた。
自分の境遇や、その訳を話せば、彼女や、コウスイが苦しむのはわかりきっていた。
それだけは、絶対に避けたかった。
そう、歩き続けるこの子たちを、決して進むことの出来ない自分が留めてはならないのだから。

「それは言えない。ただ、誰にもどうにもならないことなんだ」

 シェルロッタは背伸びをすると、シャク・シィの首に腕をまわし、彼女の肩に顔を埋めた。

「だから、お前が泣く必要なんてないんだよ」

「ちがう! わたしは……もっとちゃんと……」

「ああ、わかっているよ。ちゃんとはっきりさせたかったんだろう? ……あの子の傍で、笑っていられるように」

 シャク・シィは大粒の涙を流しながら、声を絞り出した。

「…わたしは……コウスイのことが大好きで……どうしても一緒にいたくて…でも、それはきっと……」

「……ああ、わたしもそうだよ。あの子を思う気持ちは誰にも譲れない」

 浮いていたかかとを地面に付けると、シェルロッタはシャク・シィの涙を拭ってやった。
こうして泣きじゃくるのをあやすのも、ずいぶんと久しぶりだった。

「だから私も、お前と同じように、あの子の傍らで笑っていたい。あの子に笑っていて欲しい。
……そして、シャク・シィにも笑っていて欲しい」

「――シェルロッタ」

 シャク・シィは強くシェルロッタを抱きしめ、シェルロッタは震えるシャク・シィの背中をぽんぽんと優しく叩いた。

 ずるいな。と、シェルロッタは自嘲した。
シャク・シィが自分の気持ちを包み隠さず明かしたのに、自分は、自分の心の内のすべてをさらけ出せなかった。
胸中にはまだ、多くのわだかまりが残っている。
だが、先に一人で思い詰めていた時よりは軽くなっていた。それは確かなことだった。

「……良かったよ。こうして、話をすることができて……」

 今でも、彼女がうらやましくて、悔しくてしかたない。だがそれでも、彼女がいて良かったと思えた。

「……うん」

 シャク・シィはシェルロッタから離れると、真っ赤になった目を何度も手の甲でこすった。
顔を上げた時には、普段の彼女と同じ笑顔が満ちていた。シェルロッタも微笑んで、シャク・シィの方へと歩き出した。
彼女がそのまま自分の横を通り過ぎたので、シャク・シィも踵を返しシェルロッタの横に並んで歩き出した。

「……けど、いつかまた、……ちゃんと続きを話してほしいな」

 隣の少女の言葉に、今度は驚くこともなく、シェルロッタは瞳を閉じて小さく頷いた。

「……約束するよ。ただ……今はまだ、待って欲しいんだ」

 私が本当に納得できる日まで、お前たちを、心から祝福できるようになる日まで。
わざわざ横を向かなくても、シャク・シィが頷くのがわかった。

 見上げた空には相変わらず月が浮かび、夜道を歩く二人の笑顔を輝かせる。

「さあ、早く戻ろうか。あまり夜更かししていると、また、朝起きられなくなるぞ」

 シャク・シィが朝に弱いのは、出会った次の日にはもう気づけた話だった。

「う〜ん、元々わたしは夜型だしなぁ。……そうだ! このまま朝まで起きてみない?」

 シャク・シィの提案に、シェルロッタはため息と冷ややかな眼差しで答えた。

「はぁ、そもそもお前は――」

 一瞬の空白。そして鈴の音が小さく鳴った。
次に、ドサッ、と、何かが落ちる音がシャク・シィの耳に届いた。

「――シェルロッタ?」

 すぐ横に彼女の顔はなかった。足下にまで視点を下げると、胸を押さえてうずくまるシェルロッタが目に飛び込んできた。

「シェルロッタ!? どうしたの!?」

「……別に…何も……」

 何事もないわけがないのは、シャク・シィの目にも明らかだった。顔は蒼白で息が荒く、小柄な身体はがくがくと揺れ続けている。
胸を強く押さえる彼女の身体をさすりながら、シャク・シィは必死にどうするべきか考えていた。

「シェルロッタ! どうしよう、急いで背負って……でも、へたに動かさない方が……なら、みんなに……それともウァルトリールさん……?」

 シャク・シィは一度頷くと、すぐに立ち上がった。

「待ってて、シェルロッタ! すぐにみんなを連れてくるからっ!」

 言い終わらないうちに、シャク・シィはコウスイたちの眠る家へと走り出した。だが、彼女の声は今のシェルロッタには届いていなかった。

――なんだ? この感覚は――

 自分が内側から引きずり出されるような激痛。
肉体だけではなく、精神から訴えてくるその痛みを、シェルロッタは誰かの悲鳴のように感じでいた。

――まさか、クリスタル・コアに何かが?――

 今の自分を造り上げた存在、それに何かが起きたことにシェルロッタはすぐに思いあたった。
森の方を見ようとしたシェルロッタは、だがすぐに視線を空へと向けた。

さっきまで大きな一つと、小さないくつかの光が散らばっていた世界を、まっすぐに何かが断ち切っていた。
光り輝き天へとそびえる柱。さっきまではなかったそれを目にした時、シェルロッタの脳裏に、あの男の笑い声が響いてきた。

 自分と同じ、いや、自分を利用することで、人ならざる時を生きるもう一人の存在。

「――ラーケイクスッ!!」

 深い怒りと呪詛を込めたその叫びは、そびえ立つ柱に向けられていた。だがそれは闇の中で砕け散り、むなしくたち消えていった

 

 ほんの数分後、シャク・シィに叩き起こされたコウスイたちが、すぐさま彼女に言われた場所へと駆けつけた。
だが、シェルロッタの姿はどこにも見えなかった。
それどころか、シャク・シィが呼びにいった魔術師のウァルトリールも、他の村の人々も、
ユークのノルシュターレンを残して全員が姿を消していた。
コウスイたちは夜通しみんなを探し回ったが、村の中で、誰一人として見つけることはできなかった。

 

 コウスイたちが、図書館の老人との「取引」を終えて、最初の夜が明けようとしていた。


 






<あとがき>



09/05/06


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